ゼロからイチを
作り出す


今あるものの分配や取り合いではなく
ゼロかイチではなく

「ゼロからイチ」の発想で
みんなが豊かになる
そんな仕事をして行きたいと思っています

最近の新井の動静

2020年4月 早朝誰もいないところをマラソンをはじめ、月間走行距離は230Kmを超えた。神戸から名古屋まで1ヶ月で走った感じ。自分でも信じられない。でも体重はあんまり落ちてない。
2020年3月11日 国立政策研究大学院大学のミャンマーセミナーにてメインスピーカー
だったけど、コロナでウェビナーに変更
2020年4月1日 株式会社ZeQの取締役就任。
カスタマーサポートの米国ZenDeskの仕組みをつかったソリューションを国内で展開してます。
若くていい会社ですよ。
2020年2月某日 私のミャンマー人部下にえらいことが起こった。私も被害に。笑い話になればいいのだけど。。。その時がきたらお話ししたいと思います。
2020年2月某日 私のミャンマー人部下にえらいことが起こった。私も被害に。笑い話になればいいのだけど。。。その時がきたらお話ししたいと思います。

新井ってこんな人

  • 新しい仕事を創り出す
    仕事を取り合うのではなくゼロからイチを作りだす
  • ワクワクさせたいし、したい・アジア視点
    新しいアイデアで、ワクワクしてもらうことが喜びです。自分もワクワクしていたいと思っています。アジアで感じる意味のわからない前向き感(笑)が好き
  • サービスをウェブで流通させる
    「仕事を創り出す」アプローチとして、「サービスをウェブで流通させる」っていう禅問答のようなテーマを持って取り組んでいます。対象となる「サービス」は限定して、「医療・教育・マーケティング(営業)」。奇しくもコロナにより、この時期が早まったと感じています。
  • いつもポジティブな発想で
    苦しい時辛い時もポジティブな発想でいられるように心がけています。なお、たまに愚痴を言いますが、これは文句や非難ではなく愛情からです。
  • いつもポジティブな発想で
    苦しい時辛い時もポジティブな発想でいられるように心がけています。なお、たまに愚痴を言いますが、これは文句や非難ではなく愛情からです。

新井ってこんな感じ

新井隆司(あらい たかし)
誕生日:1975年3月13日
出生地:兵庫県伊丹市 血液型:B
経歴
【1987年(12才)】
 大阪市立集英小学校卒業。北浜の大阪証券取引所の裏に小学校があった(その後統廃合)。大阪出身と言っているけど、12歳のこの時まででした。
 このころの大阪は素敵だった。思えば、野良犬もルンペンも変なおっちゃんもいっぱいいたけど、みんな子どもをかわがってくれたり、怒られたり、昭和の良き大阪でした。そして、中学入試・入学とともに東京・中野へ。中野の社宅からは、畳の間からタケノコが生えてきたり、風呂からナメクジが大量発生したりで、「東京って田舎だなあ」と感じてました。

【1993年(18才)】
 巣鴨中学校・高等学校卒業後、神戸大学発達科学部人間環境科学科(1期生)入学

【1995年1月17日(19才)】
 大学を休学して医学部再受験チャレンジ中のこの年、阪神大震災で被災。衝撃を受ける。「医者になって目の前の患者さんを助けたいという気持ちも素敵だけど、君は仕組みを作って社会に貢献するタイプなのではないかなあ」という一言で、大学復学。

【1997年10月(22才)】
 半年遅れで大学卒業後、世田谷区立福祉作業所にて、知的発達が遅れている人たちのための支援。福祉現場の大変さと、職員のかたのすごさを身にしみて味わう。
 自分自身が福祉の現場で続けていくことが難しい、と痛感。「人間の出来が違う」と感じ、再度就職活動。

【1998年4月(23才)】
 アンダーセン コンサルティング(現アクセンチュア)入社。いきなりすごい会社に入って、アメリカかぶれになる。シカゴでの研修、特にマネージャ研修は鳥肌が経ちました。
ただ、プロジェクトは、働きすぎて死ぬんじゃないかと本当に思った(笑)。
退職時マネージャー。

【2004年6月(29才)】
 スパークス・アセット・マネジメント投信株式会社(現・スパークスグループ株式会社)入社。
 コンサルでそこそこ偉くなったという驕りを捨てて、金融・投資の世界に。ここで多くの経営者とお話させていただく機会を得る。スパークス阿部社長との出会いは人生を変えていただきました。色々な世界の見方、経済の見方、経営者としての生き方。
 デュプティ・マネージャ、シニアアナリスト。
 父が癌になり、闘病生活に入ったことで、一人息子として面倒を見ざるを得ず、続けられないと判断し、断腸の思いで退職。
 日本証券アナリスト協会認定アナリスト。

【2007年11月(32才)】
 エー・アイ・キャピタル株式会社入社。ヴァイスプレジデント。
 ある程度時間が取れそうで、かつ海外へのチャンスがあった当社でお世話になる。BBT大学院資産運用講座講師 なども許可を得て兼業させていただけた。
 この頃、趣味でウェブ会議のC2Cのシステム(今でいうと、ココナラさんにウェブ会議機能をつけたもの)を作り出したところ製品化できてしまい、社員も採用してしまった。サラリーマンで稼いだものは全て開発費に回ってしまった。

【2010年10月(35才)】
 C2Cでウェブ会議で仕事ができる初代「ネクプロ」をローンチしたところ、思いの外反響があったこと、流石に社員が3人になり、業務委託やインターンも10人を超えてきたので、事業に集中することに。
 ファンワード・ストラテジー・アンド・インベストメント株式会社(現株式会社ネクプロ)代表取締役。

【2013年6月(38才)】
 「ネクプロ」が海外にも使われてきたこともあり、その開発や、サポート拠点として、海外拠点を2箇所同時立ち上げを行った。
 ファンワードミャンマー(Funward Myanmar Co.,Ltd)がやっとこさ法人化。思えばこのころのミャンマーの銀行通帳は手書きでした。
 同じ頃、中国大連拠点(Funward Dalian Information Technoligy Co.,Ltd)を設立。これは、顧客先のメンバーが中国の人民元高などで経営苦境になってしまったため、中国人に囲まれて(笑)、成り行きで立ち上がりました(もちろん感謝されました)。このあと、大活躍をしてくれることになります。

【2017年12月(42才)】
 株式会社ネクプロが、インフォニック株式会社と経営統合。インフォニック株式会社取締役。株式会社ネクプロはファウンダー兼取締役となり、最前線を退く。
 俗にいうM&A(実質的には株式交換なので、キャッシュが残った訳ではなく)。
  ミャンマーの遠隔医療を手がけるMyancare Co.,Ltd アドバイザーに就任(兼任)。

【2019年1月(43才)】
 プロジェクトで顧客先ニーズあり、個人会社として、シナジーゲート合同会社設立。代表社員CEO。
 全て合意を取っていますので、変なことをしているわけではないです(笑)

【2020年1月】
 カスタマーサクセスのZeQ株式会社取締役(兼任)ZenDeskを活用したソリューション提供の会社です。
 遠隔の時代に、ライブや、チャットコミュニケーションなど、面白いツールに囲まれて「さらに次」に挑戦しているところです。


【2020年10月】
 富山県に訪問看護ステーション みらい 設立。いよいよリアル医療に進出できました。

【2021年2月】
 ミャンマーでの政変でミャンマーでの活動が難しくなりました。

【2021年12月】
 ネクプロが総額8.5億の資金調達です。このスキーム作りにはかなりの労力を使いましたが、ベストなソリューションになったと自負しています。取締役ファウンダーとして引き続き関わらせていただきます。

【2022年3月】
 みらいをクローズしました。あと、Zeqとインフォニックの役員から外れ、親会社の持株会社の株式会社INFホールディングスの取締役のみ残しました。

【2022年11月】
  シナジーゲートを株式会社化しました。


人材育成
教員免許取得してました。(意外!?写真は教育実習生の時代。中1の担任。周りは先生方。)
そんな経緯もあって、人間が人間らしさを獲得し、「自分の為」から「他人の為」に軸を移していける過程を支援して行きたいと思っています。

グローバル
湾岸戦争を見て、アメリカはなんて横暴なんだとか高校生の時に思っていました。それなのに、米系コンサルティング会社に入って、すっかりグローバルづいてしまいました。
写真は、新入社員研修でシカゴでの一コマ。人生を変えたチャンスをいただきました。

ゼロからイチへ
ゼロからイチのポイント、まずはやってみる。でも頭の中では、色々とシミュレーションはしてますよ。悩んだら苦しい方を行く。これがゼロイチの極意です。
写真は、42歳で42KMのホノルルマラソン、初挑戦完走。やってみたらできました。
ゼロからイチへ
ゼロからイチのポイント、まずはやってみる。でも頭の中では、色々とシミュレーションはしてますよ。悩んだら苦しい方を行く。これがゼロイチの極意です。
写真は、42歳で42KMのホノルルマラソン、初挑戦完走。やってみたらできました。


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